JAZZの歴史|第11回

JAZZ|第11回|4人の巨人たち

YouTubeよりテキスト引用 https://youtu.be/4OLi4G8sPBc 【サックスプレイヤー(ウィントンの兄):ブランフォード・マルサリス】 若い連中がドラマーのエルビンジョーンズに尋ねました あなたとジョンコルトレーンの演奏は、本当に凄まじいものでした どうしたらあんな演奏ができるんですか するとエルビンはこう答えました こんなすごいやつと一緒なら、死んでもかまわんと思う事さ 最初笑いが起きましたが、それが冗談ではないことに皆すぐ気づきました こいつの為なら喜んで死ねるという相手がいますか コルトレーン達の演奏に込められた恐ろしいほどの気迫は こいつの為なら死んでも構わないという思いに支えられていたんです

【ナレーション】 1950年代後半から60年代の初め、アメリカ人は繁栄を謳歌しながらも時代の変化に不安を感じていました 史上最年長のアイゼンハワー大統領が再選され、 その後史上最年少のケネディ大統領が登場しました ブルックリンドジャースはニューヨークからロサンゼルスに移り、 ワクチンの開発でポリオが撲滅され、ソビエトが最初の人工衛星を打ち上げました 黒人を中心とした公民権運動は激しくなる一方でした その中で学校や公共施設における人種差別を撤廃するため、様々なデモやボイコットが行われました ジャズは幅広い展開を見せながらも、商業的にはかつての栄光を取り戻せずにいました ベニーグッドマンはジャズよりもクラシックを演奏することのほうが多くなっていました デュークエリントン、カウントベイシー、ディジーガレスピーはなんとかツアーを続けていましたが、 昔ほどの人気は得られないままでした そのような苦しい状況の中から ジャズをさらに発展させようと意気込む若者たちが出現しました 彼らはビバップのミュージシャンたちが到達した地点より、さらに先へ進もうとしていたのです その中でリズムやコード、ハーモニーなどに関する古い概念は次々に打ち壊されていきました ジャズの名のもとに幾つもの新しいスタイルが生み出されていきました しかし極端なまでの多様性は、ジャズという音楽のアイデンティティを不明瞭なものにする危険性もはらんでいました 1955年にチャーリーパーカーが世を去って以降、発展と混乱を繰り返しながら、 ジャズはかつてないほど急激な変化を見せることになります

【トランペッター:ウィントン・マルサリス】 いろんな才能をもった、いろんなタイプのミュージシャンがいます 例えばあるものはハーモニーの感覚に優れています あるものはとても速い演奏が出来ます またあるものは際立って個性的なサウンドをだせます 誰よりも激しくスイングできるものもいます 他のプレイヤーの心をよく理解できたり、演奏中の音を聞き取るのが得意なものもいます 演奏の中にとてつもない恐怖感と、それに立ち向かう精神性のようなものを感じさせるものもいます ミュージシャンの個性は多種多様ですが、音楽の持つ力に変わりはありません そしてソニーロリンズは絶えず自分自身に疑問を投げかけているタイプです

【評論家:ゲイリー・ギディンズ】 ソニーロリンズは巨人です 彼はルイアームストロングに通じる、情熱のほとばしりを持った数少ないミュージシャンの一人です しかしレコードの価値を信じなかったという点では、彼は古いタイプのミュージシャンです 彼にとってレコードは人々をライブ会場に連れ出すための広告にすぎません あくまでもライブ演奏中心のプレイヤーなんです ある意味彼はとても誠実なミュージシャンです 他の連中のようにあたり障りのない演奏を、機械的にこなして終わりということがありません 彼は本当に吹きたいものだけを吹くんです だからインスピレーションがわかないと、同じフレーズを延々と繰り返すことさえあります しかしひとたびインスピレーションが湧くと、その演奏は壮絶そのものです

【ナレーション】 チャーリーパーカーの後継者を求める人々にとって、ロリンズはうってつけの存在でした 彼はたちまちサックスプレイヤーの頂点に上り詰めて行きます ロリンズはマンハッタンのウエストサイドで育ちました セロニアスモンク、バドパウエル、コールマンホーキンスといった偉大な先輩たちの家のすぐ近所です ロリンズは彼らの音楽を次々と自分の中に吸収していきました

【サックスプレイヤー(ウィントンの兄):ブランフォード・マルサリス】 ほとんどのジャズプレイヤーは家で熱心に練習して、ステージでその成果を披露するものです しかしロリンズはその場で産まれた即興だけに全てをかけていました

【ナレーション】 ロリンズのソロ演奏は無限の想像力に溢れ、しかもジャズの豊かな伝統を引き継いでいました 彼の代表作の一つに、サキソフォンコロッサスというアルバムがあります サキソフォンの巨人という意味ですが、彼はその言葉に違わぬ活躍を続けていきました しかし彼は自分の演奏に満足していませんでした ロリンズに対して最も厳しい批評家はロリンズ自身だったのです 1959年人気の絶頂にあったロリンズは、突然人前でのライブ演奏を行わなくなりました そしてイーストリバーにかかる橋の上で、一人黙々とサックスの練習をするようになりました

【トランペッター:ウィントン・マルサリス】 彼は自分自身をいつも批評的な視点で見ていました ある時期彼は自分の実力が自分の理想に追いつかないことに、大きな苛立ちを感じていました だから人前で演奏するのを止めて、一人橋の上で練習を始めたんです それは自分の内側に潜む魔物との対決を意味していました 音楽という魔物、演奏という魔物です そしてその対決を終えた後彼の吹くサックスは以前よりもさらに素晴らしいものになっていました

【ミュージシャン:マット・グレイザー】 ソニーロリンズはジャズにとって、メロディーよりもリズムの方がはるかに重要であることを理解していました 彼はたった一つの音程を使って激しくスイングする事さえ出来たんです リズムの可能性に限界はありません 彼は様々なリズムパターンと、複雑なハーモニーを一つの音楽の中で見事に融合させました

【ナレーション】 さらに成長を遂げたロリンズは再びジャズの表舞台に戻ってきました 厳しい事故批評はその後も彼自身を苦しめましたが、その葛藤の中から数多くの名演が生まれたのです 彼は言いました、我々は常に完璧を目指さなくてはならない チャーリーパーカーの下で鍛えられた、若きトランペッター、マイルスデイヴィスは 今やジャズの最前線に踊り出していました 次々と革新的な音楽スタイルを生み出した彼は1991年に亡くなるまで、 誰もが認めるジャズの帝王として君臨することになります

【作家:スタンリー・クラウチ】 1950年代、裕福な白人達は都市から郊外へ移り住むようになりました しかし彼らはその平穏で決まりきったライフスタイルに不満も抱いていました 彼らは優雅に洗練されていながら、ピリッとした刺激があるものを求めていたのです そんな気分にピッタリだったのがマイルスデイヴィスの音楽でした

【ナレーション】 マイルスデイヴィスはヘロインへの依存から立ち直ると、失われた時間を取り戻そうとしました 彼は当時所属していた、プレスティッジというレーベルのもとで何枚ものレコードを吹き込み、 そこで多くの才能あるミュージシャンと共演していきました ソニーロリンズ、ホレスシルバー、ミルトジャクソン、レッドガーランド、 ポールチェンバンス、フィリージョージョーンズ、キャノンボールアダレイ、 そして若手ながら、リズムアンドブルースバンドでの経験が豊富だったジョンコルトレーン

【トランペッター:ウィントン・マルサリス】 マイルスのサウンドの特徴は明確さです 彼は長いメロディーラインを美しい音で演奏し、しかも常にスイングしていました 彼は他のメンバーになすべきことをはっきりと指示しました だからどのレコードを聴いても、粗というものが殆どみあたりません それぞれの演奏が持つ意味や役割が非常に明確なんです

【ナレーション】 マイルスは自分と全くタイプの違うミュージシャンと共演し、その個性を自分の音楽に取り入れるのが得意でした 例えばセロニアスモンクと共演した彼は、モンクのユニークな間の感覚を取り入れました

【作家:スタンリー・クラウチ】 マイルスがモンクから学んだものは、ハーモニーに関する新しいアイデアでした それをビリーホリデイや、ルイアームストロングや、 ブルースの歌手のように、余裕をもって効果的に使う方法も学びました それはビバップのような騒々しさとはかけ離れた、本当に言いたい事だけを簡潔に言い切るスタイルです モンクはごく少数の音を、最も効果的に奏でる事で最大の効果をあげました そのような効果的な音の使い方を、マイルスはモンクの音楽から学び取ったんです

【評論家:ナット・ヘントフ】 彼はこのようにロマンチックなバラードでは、べたついたところがない、クールなメロディーを使いました その方がより効果的であることを知っていたんです マイルスの吹くソロは恐ろしいほどプライベートな感じがします まるで彼の個人的なつぶやきを、盗み聞きしているかのようです 他のミュージシャンの演奏が付け足しに聞こえることさえあります

【ナレーション】 薄い氷の上を歩くような、繊細極まりないバラード演奏が受けて、マイルスの人気は急上昇していきました しかしマイルスはその程度の成功には満足しませんでした 彼は自分の音楽がもっと多くの人々に聞かれることを望んでいたのです そこで彼は、当時最大手のレーベルだったコロンビアレコードと新しい契約を交わしました しかしプレスティッジレーベルとの契約がまだ残っていたため、 マイルスはたった二日間で、4枚分のレコーディングを行うことにしました 後にマラソンセッションと呼ばれることになる伝説的レコーディングです 殆どの演奏が一回でOKとなりました

【トランペッター:ウィントン・マルサリス】 彼の音楽は人の心に潜む、孤独感に訴えてきます そして誰もが同じ孤独を抱えているのだと語りかけてきます その思いを分かち合うことで、人は癒されるんです 一方で彼は強烈にスイングします その両極端な要素が絶妙にブレンドされることで、あの素晴らしい音楽が生まれてくるんです

【ナレーション】 名声は高まる一方でしたが、マイルスは心の奥深くにある不安を拭い去ることができませんでした いかなる評価、いかなる成功をもってしても、 白人中心のアメリカ社会で、自分が黒人として差別されている現実を変えることはできなかったからです

【マイルスの元妻:フランシス・デイビス】 マイルスはホテルで予約の確認をするのをいつも恐れていました 自分が黒人だという理由で、予約取り消されているんじゃないかと不安だったんです だからそれはたいてい私の役目でした あの頃の彼は黒人として差別されることを本当に恐れていました

【ナレーション】 ある晩、バードランドに出演したマイルスが外で休憩をしていると、 白人の警官がやってきてそこから立ち去るよう命じました 俺はここで働いているんだ、と言ってマイルスが拒否すると、警官はマイルスを警棒で叩きのめしました この事件をはじめとする様々な差別や屈辱を受けて、マイルスの怒りと疎外感は増す一方でした その苛立ちのせいか、時にはクラブの経営者と殴り合ったり、ファンを罵ったりすることもありました 彼の私生活は複雑で暴力的なものだったのです

【マイルスの元妻:フランシス・デイビス】 マイルスは独占欲の塊でした 私は元々バレリーナで、あのころはブロードウェイで踊っていました ある日スポーツカーに乗ったマイルスが劇場にやってきてこういいました フランシス、女は男のそばにいるものだ、ウエストサイドストーリーの舞台を止めてくれ 私は他の男性について喋ることさえできませんでした クインシージョーンズってハンサムねと言っただけで、彼は私を思いっきり殴りつけました このままでは殺されると思って、警察を呼んだほどです、本当に大変でした

【ナレーション】 そのような私生活の混乱にもかかわらず 1959年マイルスはアルバムカインドオブブルーによって、ジャズの新たな地平を切り開きました マイルスがそこで全面的に採用したのはモード奏法でした コード進行に基づいた即興演奏が行き詰まりを見せる中、 モード奏法は、ジャズの演奏法に新しい可能性をもたらしたのです

【評論家:ゲイリー・ギディンズ】 ビバップ以降ジャズミュージシャンは、コードに基づいた即興演奏を行ってきましたが、 その手法は極めつくされ、マンネリ化しつつありました またコード進行も複雑になりすぎて、即興の可能性を狭めていました そこでマイルスは複雑なコードではなく、シンプルな音階を基に演奏することで、 より自由にメロディーを作り出せることにしたんです

【ナレーション】 マイルスはメンバーの中から自然に生まれてくるものを重視しました そのため演奏する曲について、本番の直前までメンバーに何も教えようとしませんでした

【伝記作家:クインシー・トループ】 マイルスはスタジオに入ると、 これはお前のパート、こっちはお前のパート、と言いながら小さなメモをメンバーに渡していくんです 彼は私にこう言いました これをやる時は相手が優れたミュージシャンでなくちゃだめだ 本当に優れたミュージシャンならこういう緊張感のある状況で、 ちょっとしたヒントさえ与えてやれば本来の能力を超えるような演奏をするはずだ

【ナレーション】 マイルスが本当に優れたミュージシャンとみなしたメンバーの顔ぶれは、 すでにスターへの道を歩みだしていたジョンコルトレーン、アルトサックスのキャノンボールアダレイ、 ベーシストのポールチェンバース、ドラマーのジミーコブ、そして白人のピアニスト、ビルエヴァンス

【評論家:ナット・ヘントフ】 当時若い黒人ミュージシャンたちの一部には、白人にジャズが演奏できてたまるか、という雰囲気がありました 実を言えば、自分たちの仕事を白人ミュージシャンに奪われることを恐れていたんです この時期、白人のミュージシャンを中心とした、 ウエストコーストジャズが商業的に大きな成功を収めていました そう言ったことに対する反感がみなぎる中で、マイルスは白人のビルエヴァンスをピアニストとして起用したんです

【ナレーション】 白人中心のアメリカ社会に強い怒りを感じていたマイルスですが、 こと音楽に関しては肌の色は無関係でした 彼はこう言ってビルエヴァンスを褒め称えました 奴が俺のバンドに付け加えてくれたものは静かに燃え上がる炎だ その言葉どおりエヴァンスとマイルスの共同作業は、静寂の美に彩られた画期的なものとなりました アルバム、カインドオブブルーは歴史的名盤として評価されるだけでなく、 ジャズ史上屈指のベストセラーとして、今なお世界中で売れ続けています

【ミュージシャン:マット・グレイザー】 音楽というものは人間の肉体、感情、知性、精神に関係しその全てに訴えかけるものです 演奏すれば当然肉体は動き、音で何らかの感情を表現しようとします 知性も活発になり、次々と即興演奏を紡ぎだしていきます そして精神は祈りに近い状態になります 音楽はその人の全てを表現するわけです それを一瞬のうちに理解し、自分も音楽で答えること つまり音楽を通じた会話は特別な才能の持ち主だけに許された行為です

【トランペッター:ウィントン・マルサリス】 ジャズは現実的な音楽です 私たちを夢の世界ではなく、現実の世界に向き合わせようとします 汝何々すべしと言った、宗教的な理想を語るのではなく、世俗的な現実の中で人間の生きざまを語る音楽なんです ジャズが見つめているものは、この社会で起きている現実そのものです 例えばチャーリーパーカーは、酒やドラッグに溺れる破滅的な生活を送りました それにもかかわらずパーカーの演奏は素晴らしかった ジャズという音楽は、人間のありとあらゆる営みを受け入れる深さを持っているんです

【ナレーション】 ジョンウィリアムコルトレーンは他の偉大なミュージシャン達と同様、 音楽をそれまでとは違う次元に引き上げようと努力しました そして試行錯誤の末、今までにないほど深い精神的な要素を、ジャズに持ち込むことに成功しました

【トランペッター:レスター・ボウイ】 彼は父親のような存在です コルトレーンは私たちジャズミュージシャンに、精神的探求への道を切り開いてくれました 勿論ジャズは昔から精神性を備えていましたが、それを最前線まで引き上げたのは彼の功績です

【ナレーション】 ジョンコルトレーンは1926年に、ノースカロライナの小さな町で生まれ、10代になるとフィラデルフィアに移りました 彼はフィラデルフィアで二つの音楽学校に通ってサックスを学び、 リズムアンドブルースを演奏し、レスターヤングを聴き、やがてディジーガレスピーのビッグバンドに参加しました 1955年コルトレーンはマイルスデイヴィスのバンドに採用されましたが、二年後には解雇されました コルトレーンがドラッグに溺れていたためです そんな彼を救ったのはセロニアスモンクでした 後にコルトレーンはモンクと一緒に演奏するうちに、霊的な覚醒を経験したのだと語っています コルトレーンはドラッグ、酒、タバコを絶ち、東洋の宗教を学び始めました またアジアやアラブアフリカなどの音楽も学び始めました 大きな成長を遂げたコルトレーンが作り出したものは、 深い精神性とより多くの音に満ちたエネルギッシュな音楽でした

【評論家:ゲイリー・ギディンズ】 1961年にビレッジバンガードというクラブでライブ録音された、 チェイシンザトレーンは、コルトレーンの本質をよく表しています レコードの片面全部を使って収録された、16分に及ぶ演奏です この演奏を聴くとコルトレーンが、ブルースの境界線を打ち破ろうと試みているのが分かります そしてリズムセクションが、彼の行きすぎを抑えようとしている構図が浮かび上がってきます この演奏は多くの人々にとって分かりづらいものでしょう しかしここで肝心なのは、マグマが吹き出すような感情のほとばしりです ルイアームストロングの完璧な、12小節のソロを弾くのと同じ耳で聞いてはいけません 細かい表現は大した問題ではありません ひとつひとつの音ではなく演奏全体から発せられる圧倒的なエネルギーが重要なんです それは聴く者の耳を釘付けにする力を持ち、新しいジャズの誕生を感じさせるものでした

【ナレーション】 1961年彼は最高のカルテットを結成しました ピアノはマッコイタイナー、ベースはジミーギャルソン、 ドラムはエルビンジョーンズ、リーダーのどんな要求にも応えられる達人揃いです この頃からコルトレーンは新たな表現手段として、しばしばソプラノサックスを吹くようになりました コルトレーンはミュージカル、サウンドオブミュージックから、 マイフェイバリットシングスをレパートリーに加え、オリジナルとは全く違う、独自のサウンドに作り変えていきました 彼はこの曲を生涯演奏し続けより一層、芸術性の高いものにしていきました コルトレーンは既にマイルスデイヴィスと並ぶ、ジャズ界の大スターになっていましたが 彼自身は商業的な成功に関心がありませんでした 彼にとって重要なものは音楽だけだったのです

【レコードプロデューサー:マイケル・クスクナ】 コルトレーン達が発するパワーと、エネルギーは驚くべきものでした 彼らのライブは忘れられない思い出です 会場の一番後ろに少しスペースがあったので、よくコルトレーンの音に合わせて踊ったものです その感情はいわば信仰心に近いものでした

【ナレーション】 ルイアームストロング、デュークエリントン、チャーリーパーカー、ディジーガレスピー、 ソニーロリンズ、マイルスデイヴィス、ジョンコルトレーン、 彼らはリズム、ハーモニー、コード進行、といった一定の規則に基づいて演奏を行い、 その中で独自の表現を確立していきました その全てを拒否し、ジャズはもっと自由でなくてはならないと宣言したのが、オーネットコールマンでした 彼は言いました、曲の最初に演奏するテーマは安全地帯だ だがその後はテーマにとらわれない自由で危険な冒険が始まる

【評論家:ゲイリー・ギディンズ】 彼は疑問を持ったんです なぜコードが必要なんだろう もしコードという約束事を無視して、ハーモニーの枠を取り払ったらどんな音楽ができるだろう メロディーだけに頼って即興を行ったらどうなるだろう そしてリズムです どうしていつも四分の四拍子で演奏しなくてはならないんだろう もし、ドラマーがその決まり切ったリズムにとらわれず、 他の楽器に反応するような形で、即興演奏を行ったらどうなるだろう そしてコードと一定のテンポがなくなったら、ベーシストはどんな音を演奏することになるだろう オーネットコールマンは、そんな突飛なアイデアを実践してみせたんです

【ナレーション】 オーネットコールマンは、彼と同じような考えを持つ若いミュージシャンたちを、 ロサンゼルスの小さなガレージに集めました トランペッターのドンチェリー、ドラマーのビギンヒリンズ、 そしてミズーリ州中部からやってきた21歳のベーシスト、チャーリーヘイデンです

【ベーシスト:チャーリー・ヘイデン】 初めてコールマンのアパートに招かれた時のことです 中に入ると部屋のありとあらゆるところに、楽譜が散らばっていました 私が自分のベースを取り出すと、彼は一枚の楽譜を拾い上げて、これを演奏しようと言いました 彼は続けてこう言いました これは私が書いたメロディーだ、コード進行も書いてある でもそのコードにとらわれる必要はない 私が即興を始めたらメロディーを聴きながら、自分でそれにあったコード進行を考えてくれ それまでは頭の中に思い描くだけだった、音を出すチャンスを彼が与えてくれたんです 演奏を始めると全く新しい世界が開けました 生まれ変わった気分でした あれほど深く、音楽に耳をすませたことはありませんでした 全く新しいものを即興で作り出そうとする緊張感がみなぎっていました 生まれて初めて音楽を聴き、演奏したような新鮮さでした ちょっとした食事休憩はありましたが、私たちはその後、まる二日間に渡って延々と演奏を続けました それがコールマンとの初めてのセッションでした

【ナレーション】 ジャズの既成概念を覆す、オーネットコールマン達の演奏は、次第に大きな注目を集めるようになりました 1959年11月、彼らはジャズの中心地ニューヨークに乗り込みました ライブ会場は先進的なミュージシャンが出演することで知られるファイブスポットです

【ベーシスト:チャーリー・ヘイデン】 ファイブスポットで演奏する最初の晩、 私がベースのカバーを取り他のメンバーもそれぞれ楽器の準備をしていました その時ふとバーカウンターを見るとそこに立っていたのは、 ウィルバーウェア、チャールズミンガス、ポールチェンバース、パーシーヒース、 なんとニューヨーク最高のベーシスト達が私を見ていたんです 私は言いました、僕は今から目を瞑るからね 私たちはそこで週6日、4ヶ月間も演奏しました 毎晩店は満員でした、ある晩私はまた目をつぶって演奏していました ふと目を開けると見知らぬ男がステージに上がって私のベースに耳をくっつけています この男をどかしてくれと、私が言うとコールマンは言いました その人はレナードバーンスタインだぞ

【ナレーション】 クラシックの巨匠、レナードバーンスタインはコールマンを天才だと絶賛しました ジョンコルトレーンを高く評価し、時々セッションを行いました しかしトランペッターのロイエルドリッジは、 酔っぱらって聴こうが、素面で聴こうが奴の音楽は理解できないと言い、 マイルスデイヴィスも、グチャグチャ混乱しているだけだと否定的でした コールマン自身は、自分の音楽をジャズの伝統に根ざしたものだと考えていました 彼は言いました 新しいものを求めずにはいられない、私たちの気持ちをチャーリーパーカーなら理解してくれたに違いない

【サックスプレイヤー:ジャッキー・マクリーン】 1950年代の半ばにはすでに多くのミュージシャンが自由なコンセプトに基づいた演奏をおこなっていました そこにはなんの束縛もありません シャープやフラットもない、コード進行も特定の形式もない開かれた世界です オーネットは自分のカルテットを率いてニューヨークにやってきました そして自分の考えを貫き通し、ジャズ界に大きな影響を与えました それこそ私がオーネットを尊敬している点です 彼は自らの信念を貫き、自分の音楽を曲げることなく、あらゆる批判的な意見に耐え忍びました その事実は尊敬に値します

【ナレーション】 1961年オーネットコールマンはフリージャズというタイトルのアルバムを発表しました ジャケットにはジャクソンポロックの抽象画が使われ、 フリージャズという一曲だけがレコーダーの両面を占めるアルバムです このレコードはジャズという音楽の定義について、果てしない論争を巻き起こしました。

【作家:アルバート・マリー】 フリージャズと言っても、ジャズより自由なものとは一体何でしょう ジャズを語ることは即興演奏の自由を語ること、アメリカの自由を語ることです それをさらに自由にすることにどんな意味があるんでしょう 全ての芸術は必ず一定の形式を供えるもので、それが無くなればただの混乱と無秩序に陥ります ジャズもそうです、ジャズの自由とは形式がないという事ではありません ただ好き勝手にやればいいというものでもありません それではまるで海の中に入ってすべての波を抱え込むようなものです 無秩序を抱え込むこと、混乱を抱え込むこと、など誰にもできません

【ベーシスト:チャーリー・ヘイデン】 本当に優れたミュージシャンとは、枠にとらわれないミュージシャンのことだと信じています 例えばコールマンホーキンスや、セロニアスモンクや、バドパウエルの即興演奏を聴くと、 彼らがある一線を越えたところに立っていたのは分かります とても自由にとても深く、そして自分の命を賭けたレベルで演奏していたんです 私たちもそれをやりました 戦いの最前線にいるのと同じです 大切なのは危険を恐れない事、自分がやっていることのために命を捧げられること、喜んで命を捧げたいと思うことです

【ナレーション】 オーネットコールマンの音楽は、ジャズに新鮮なインスピレーションを与えると同時に、 ジャズとは何かという根本的な問いを今も発し続けています