JAZZの歴史|第12回

JAZZ|第12回|ジャズよ永遠なれ

YouTubeよりテキスト引用 https://youtu.be/eOVsWG_2qnw

【レコードプロデューサー:マイケル・クスクナ】 一年のうち300日もステージに上がり、 そのたびに何か新しいものを作り出すのが簡単だと思ってるような人間には、 ジャズミュージシャンの資格などはありません 毎日ゼロからはじめて、真夜中までに傑作と呼べる音楽を自力で作り上げる、 それは信じられないほど大変な作業です 他の芸術と違ってじっくりと時間をかける余裕などありません ジャズとはステージに上がり、お客さんの前で瞬間的に創造する芸術です いわば、安全ネットなしの綱渡り、成功も失敗も全て人に見られることになります

【ナレーション】 デクスターゴードンはビバップの花形サックスプレイヤーでした 背が高くハンサムな彼は、ステージでサックスを組み立てただけで観客の目を引きつけました そのパワフルで艶やかな演奏にはレスターヤングをはじめとする、ジャズの巨人たちの伝統が息づいていました しかし1960年代に入ると、そのゴードンですら、仕事を見つけるのが難しくなってきました あるミュージシャンはこう回想しています 若い連中はジャズではなくロックが聴ける場所に集まり、 若くない連中は家でテレビをみて過ごすようになりました 追い詰められたジャズミュージシャンはどんなところでも仕事をしました カクテルラウンジで、テレビ番組のバックバンドで、ロックミュージシャンのレコーディングで、 その流れに乗れなかったものは音楽をやめました そして大勢のミュージシャンが、まだジャズの人気が高かったヨーロッパに渡りました デクスターゴードンもその一人で、1962年から活動の拠点をヨーロッパに移さざるをえませんでした そして彼が去ったあと、アメリカはかつて経験したことのない暴力の時代に突入しました ベトナム戦争の泥沼化とそれに対する反戦運動、公民権運動は実を結びつつありましたが、 そのリーダーが次々と暗殺され、人種間の対立は頂点に達しました そのような時代の中で、ジャズという音楽も混迷の度合いを深めていました 新しいスタイルが次々と生まれる一方で、古いスタイルも根強く生き残っていた為です デキシーランド、スイング、ビバップ、ハードバップ、クール、モード、フリー、アバンギャルド、 デュークエリントンは言いました こんなにも色々な音楽スタイルを、どうすればジャズという一言で括れるのか 私には見当もつかない 何がジャズで何がジャズでないのか その問題をめぐる対立は激しさを増し、ミュージシャンや聴衆はバラバラになっていきました そしてジャズの境界線がどこにあるにせよ、 ジャズという音楽が存亡の危機に瀕している事だけは間違いありませんでした

【シンガー:アビー・リンカーン】 あの頃多くのジャズが滅びましたが、自滅したわけではありません ロックの登場によって外から滅ぼされたんです イギリスからきたロックミュージシャンが、音楽の世界をくまなく覆い尽くしました 価値観が変わってしまったんです

【ナレーション】 ビートルズの出現によって、ポピュラーミュージックの王座は完全にロックのものとなりました 以前から商業的に低迷していたジャズは、ますます片隅に追いやられることになります しかし一つだけ例外がありました 1964年5月、ビートルズのキャントバイミーラブに変わって、 ルイアームストロングの歌うハロードリーが全米ナンバーワンの座に輝いたのです

【評論家:ゲイリー・ギディンズ】 ヒットチャートの上位をビートルズが独占していた時代、 あのナンバーワンは、いわばジャズの最後の抵抗でした ハロードリーにはそれだけ人を引き付けるものがあったんです 本当にケチのつけようがないレコードです、 あの中でアームストロングは丸々32小節分のトランペットソロを披露しています 本物のジャズ、本物のルイアームストロングです

【ナレーション】 ジャズがこれ程の大ヒットを飛ばすことは二度とありませんでした ヒットチャートの主役は再びロックやポップスが占めるようになりました しかしそんな厳しい状況の中、アームストロングとは全く違うやり方で、尚も全身を続けるミュージシャン達がいました

【作家:ジェラルド・アーリー】 ジョンコルトレーンはアバンギャルドと呼ばれる、前衛的なジャズの守護神でした 彼は以前から、宗教的な色彩の強い音楽を作ろうとしていました それが結果的にアバンギャルドミュージックの形をとったんです 延々40分間も高い音域でソロを吹き続ける姿は、まるで精霊が乗り移っていかのようでした

【評論家:ゲイリー・ギディンズ】 コルトレーンの音楽は聴くものを選びました とても騒々しく、甘さがないので不快に思う観客もいました 彼の演奏をはじめて聴いた時のことは忘れられません それはまるで騒音のようでした、にもかかわらず私は心が熱くなるのを感じました 何故なのかはわかりません ただその演奏の中に本当の意味での誠実さや、音楽のパワーが宿っていたことは確かです 彼の音楽には、聴くものをしがらみに満ちたこの世界から連れ出してくれる力がありました

【ナレーション】 暴力の嵐が吹きすさぶ中、虐げられた人々の怒りと、嘆きを代弁するかのようなコルトレーンのサウンドは 60年代アメリカの一つのシンボルとなりました ジャズには人々の魂に語りかけ、傷ついた世界を癒す力がある コルトレーンはそう考えていました 彼は言いました、ミュージシャンにとって一番の望みは、 自分が素晴らしいと感じた物のイメージを聴衆に伝えることだ

【トランペッター:ウィントン・マルサリス】 コルトレーンは、その情熱に満ちた音楽によって、聴く者の意識を変えようとしていました いうならば伝道師と同じです、それが彼のパワーの源でした ジョンコルトレーンはその音楽も、人間性も誠実そのものでした 彼のサウンドに映し出されている物は、溢れんばかりの善意、そして深い信念です それはとても精神的で温かく、他人への思いやりに満ちたものでした 彼の演奏には美しく、抒情的なものがたくさんあります しかしその中にさえ、聴く者の世界観を変えてしまうパワーがあったんです

【ナレーション】 コルトレーンが1964年に作り上げた、至上の愛は、四つのパートからなる組曲構成のアルバムです この作品はベストセラーとなり、その後のジャズに絶大な影響を与えました

【サックスプレイヤー:ジョシュア・レッドマン】 あれは死ぬ前に必ず聴きたいレコード、史上最高のレコードの一枚だと思います あのレコードには、ジョンコルトレーンというアーティストの魂が込められています 本当に純粋な芸術です

【サックスプレイヤー(ウィントンの兄):ブランフォード・マルサリス】 はじめて至上の愛を聴いた後、レコードをジャケットにしまうことができませんでした それから半年間ずっと聴き続けました ただひたすら聴き続けたんです 朝、朝食を食べながら聴き、昼にはランチを食べながら聴き、夜ベッドに入る時にも聴きました テレビを見ている時でさえレコードをかけ続けました それは自分でも信じられないほどの情熱でした 年を重ね、繰り返し聴けば聴くほどこのアルバムで一番大切なものは、精神的な部分にあることが分かってきました 肉体的なテクニックはたいした問題じゃありません というのもコルトレーンの演奏は、肉体的なものをほとんど超越しているからです

【ナレーション】 その後の僅か2年間で、彼は10枚以上のアルバムを吹き込み、さらに精神的、前衛的な音楽を追求していきました 1966年、10年後の目標は? と尋ねられたコルトレーンはこう答えました 私は聖者になりたい しかし彼に残された時間は1年しかありませんでした 1967年7月16日、ジョンコルトレーンは癌のためにこの世を去ります、享年40歳でした

【レコードプロデューサー:マイケル・クスクナ】 ジョンコルトレーンの成し遂げたことについて考えてみると、 1955年にマイルスデイヴィスのバンドに加わってから、67年に亡くなるまで彼は多くのレコードを残しました その12年間にコルトレーンが作った作品は、ジャズの歴史を変える驚くべきものでした 彼は優れた音楽を生み出すために苦しみ続けました 私たちはその苦しみに感謝しなくてはなりません そして彼の音楽にリアルタイムで接することができたのを、幸運に思わなくてはなりません

【ナレーション】 常に変化を求める、ジャズの帝王マイルスデイヴィスは、 強力なメンバーが顔を揃えた通称、黄金のクインテットを1964年に結成しました サックスは後にウェザーリポートを結成するウェインショーター、 そしてジャズの歴史上、最高のリズムセクションに数えられる3人、 ベースはロンカーター、ドラムは17歳でバンドに参加した天才児、トニーウィリアムス、 そしてピアノはハービーハンコック、彼は11歳の時にシカゴ交響楽団と共演して、 モーツァルトのピアノ狂想曲を弾きこなすほどの神童でした

【ピアニスト:ハービー・ハンコック】 あのバンドではもはや、和音、コードに囚われた演奏することはありませんでした 何をやるかについて細かい打ち合わせなどはしませんでした 誰もがその場その場で起きることに、即座に反応しながら音を出していたのです 大切なのは耳を開き、目を開き、心を開いた状態にしておくことです

【ナレーション】 マイルスはアバンギャルドミュージックに否定的な態度を取ってきましたが、 この頃になるとアバンギャルドの要素も取り入れ、より複雑で想像力豊かな音楽を作り出すようになりました

【レコードプロデューサー:マイケル・クスクナ】 リズムセクションの3人がマイルスの音楽に与えたものは柔軟性でした 彼らは曲の長さやテンポを自在に変えることができたんです 5人のメンバーは感情を共有しあい一つになりました 型にはまった構成や、お約束のフレーズといった古い決まりごとにとらわれることはありませんでした 一人が自由に音楽を奏でれば、他のメンバーが必ずそれについてきてくれたからです 音楽に限らず、どんな分野においても、あれほど理想的なチームワークが生まれる事は滅多にありません

【ナレーション】 このクインテットによってジャズの頂点を極めたマイルスは、 次なる目標として今までのジャズの枠組みを大きく踏み超えた音楽を目指すようになりました

【ピアニスト:ハービー・ハンコック】 マイルスは常に人々の心をつかみたい 自分が感じた物を人々に表現したいと思っていました その表現手段として、彼はアコースティック楽器にはこだわりませんでした 彼はメンバーにエレクトリック楽器を使わせ、リズムもロックに近いものになっていきました しかしサウンドはどう変わっても、それはマイルスの音楽でした

【ナレーション】 マイルスはジャズの伝統的な楽器編成を捨て去り、ベースやキーボード、ギターなどを アコースティックからエレクトリックに置き換えて行きました それに伴い音楽はかつてないほど、リズムを強調したものに変化していきました マイルスの新しい音楽はフュージョンと呼ばれるスタイルの先駆けとなりました

【ピアニスト:ハービー・ハンコック】 それはアコースティック楽器を基本にしていない最初のジャズでした その音楽の中心となる楽器はエレクトリックギターやキーボードでした

【ナレーション】 1969年の大作、ビッチェズブリューは、マイルスのエレクトリック時代を代表するアルバムで、 セールス的にもロックのレコードに匹敵する、大成功を収めました しかしそれまでのジャズとは全く違うリズムや、サウンドについていけないファンも多く、 マイルスは大きな賞賛と批判の両方を受けることになりました

【作家:ジェラルド・アーリー】 マイルスはあらゆる音楽を吸収するかのように、新しい楽器を加えていきました スタールやタブラといったインドの楽器、エレクトリックギター、 そうして出来上がったのは本当の意味でのフリージャズであり、ジャズロックでした しかし私はこう考えています アコースティック時代のマイルスは、自分の音楽的ビジョンを活かしつつ メンバー全員の個性を引き出すのが得意でした ところがエレクトリック時代に入ると、そのような美点は失われてしまいました あまりにも多くのことが同時進行し、バンドのメンバーがお互いの演奏をよく聴かなくなってしまったからです 互いの出す音に耳をすませ、反応しあうことでうまれる、ジャズ特有の緊張感はどこかに消えてしまいました

【ナレーション】 古くからのファンを失う一方で、マイルスはより多くの新しいファンを獲得することに成功しました その音楽はジャズもロックも飲み込み、さらにスケールアップしていきました そして様々な音楽ジャンルの融合や、徹底したリズムの追求といったアイデアは、 後の音楽に計り知れない影響を与えました マイルスは時代のはるか先を歩んでいたのです 1960年代、ニューオーリンズ州は警察署を作るため、ルイアームストロングの生まれた家を解体しました その頃にはアームストロングがキングオリバーと一緒に演奏した、シカゴのリンカーンガーデンも閉鎖されていました 治安の取り締まりが強化されたカンザスシティでは、レスターヤングやカウントベイシー、 チャーリーパーカー達の出演したクラブがほとんど姿を消しました デュークエリントンのホームグラウンドであった、ハーレムのコットンクラブも既に存在しませんでした チックウェッブやエラフィッツジェラルドが大勢の人々を魅了した、サボイボールルームも同様でした チャーリーパーカーのニックネームから名付けられた、 バードランドではジャズの代わりに、リズム&ブルースが演奏されるようになっていました 1968年マンハッタンの52丁目に残った最後のクラブがその幕を閉じました オーネットコールマンやジョンコルトレーンが前衛的なジャズを披露したファイブスポットも閉店に追い込まれました 1930年代末、スイングを中心としたジャズは、音楽産業の売上のおよそ70%を占めていました それが1970年代半ばには、3%にも満たない数字に落ち込んでいたのです 1975年、マイルスデイヴィスはこう言いました ジャズは死んだ あれは博物館の音楽だ

【サックスプレイヤー(ウィントンの兄):ブランフォード・マルサリス】 たしかにあの時代、ジャズは死んだも同然でした まだ活躍している人たちもいましたが、本物のジャズを演奏していたのは ケニーバロンやロンカーターなどごく少数の人達だけでした 才能ある若者はみんなの別の世界に流れていきました 以前だったらあり得ないことです

【ナレーション】 停滞するジャズに一筋の光明が差し込んだのは、1980年のことでした ドラマーのアートブレイキーが率いるバンド、ジャズメッセンジャーズそのオーディションでの出来事です

【レコードプロデューサー:マイケル・クスクナ】 その夜トランペッターのオーディションに来ていた若者には驚かされました 彼のアイデアはとても新鮮で、しかも明快でした あれは一体何者だとアートに尋ねると、彼はこう答えました あれはエリスマルサリスの息子だよ エリスマルサリスはニューオーリンズの素晴らしいピアニストです 名前はそれほど知られていませんが、私達はみんな彼の音楽が大好きでした でもアートはこう言いました あいつはまだジュリアード音楽院で1年生なんだ そんな名門学校から引きずり出して、うちのバンドに加えたりしたらエリスに合わせる顔がないよ だから今回は諦めるしかないな しかし2回のジャムセッションの後、新しいメンバー決まったかい? と尋ねるとアートは言いました あぁ一人だけね ウィントンマルサリスだ

【ナレーション】 ジャズメッセンジャーズにおけるウィントンの演奏は大評判となりました そして1981年に吹き込まれた、最初のリーダーアルバム、 マルサリスの肖像は、アコースティックジャズのアルバムとしては久しぶりのビッグヒットとなり、 ジャズ人気復活の大きなきっかけを作りました

【レコードプロデューサー:マイケル・クスクナ】 ウィントンはアコースティックジャズの新人としては、久しぶりの逸材でした しかもありがたいことに彼の兄である、ブランフォードマルサリスを始め、 ウィントンの周辺から有能な新人が大勢出てきました 80年代に入った途端、瀕死状態だったジャズに新しい才能が次々と出現したんです

【ナレーション】 ウィントンの快進撃はその後も続きました 80年代にはジャズとクラシックの両部門でいくつものグラミー賞を受賞 そして97年には黒人奴隷の歴史をテーマにしたアルバム ブラッドオンザフィールズによって、ジャズミュージシャンとして初めて、ピュリッツァー賞を受賞しました 彼の活躍はジャズ界に大きな刺激を与え、 いくつかのレコード会社は再びジャズのプロモーションに力を入れるようになりました しかし現代のジャズを支えているのは、決してウィントン一人ではありません 様々なスタイル、様々な個性を持った、 最高のミュージシャン達が先人の意志を受け継ぎながら、ジャズの未来を切り開こうとしているのです クリスチャンマクブライド、ルイスナッシュ、デビッドマレイ、スティーブコールマン、ジョーラバーノ、 ジャッキーテラソン、グレッグオズビー、ジェリアレン、マーカスロバーツ、ジョシュアレッドマン、 そしてカサンドラウィルソン、 彼女はジャズ、ロック、ブルースにまたがる、幅広いレパートリーを現代的な感覚で歌いこなすシンガーです いまジャズを志す若者たちは、100年に及ぶ歴史を振り返り、先人たちの功績と過ちを共に理解しようと努めています

【シンガー:カサンドラ・ウィルソン】 誰かの悲劇を学ぶことは大切です それを自らの糧にすべきだと思います ジャズの偉大な先人たちは様々な悲劇を経験してきました 素晴らしい音楽を作り出す一方で、多くの過ちを繰り返してきたんです 例えばドラッグです でもそういった悲劇の中から生み出された音楽は、私たちは大きな力を与えてくれました 彼らが作り上げたものを受け継ぎ、それを21世紀に伝えていく義務が私たちにはあるんです

【サックスプレイヤー:ジョシュア・レッドマン】 ジャズは今も活発で想像力に溢れた音楽だと思います 世界中の色々なジャンル、様々なサウンドとジャズが結びつくことでとても面白い動きが起きています ジャズとリズムアンドブルース、ジャズとラテン音楽、ジャズとカリブ海の音楽、 ジャズとヒップホップといった組み合わせから、新しい音楽が生まれているんです 重要なのは、音楽の持つ感情的なパワーです ジャズは常に変化を続け、様々な方向に広がっています その中で個性的なアーティストたちが、自らの感情や体験を音楽を通じて、語るべき何かを表現しようと試みています それが続く限りジャズが滅びることはありません

【評論家:ゲイリー・ギディンズ】 あるミュージシャンが言いました 俺たちが向かうところにジャズも向かう、俺たちはミュージシャンだからね ジャズの未来を正確に予想できる人間など、どこにもいません スイングの時代にビバップの出現を予想したものはいませんでした ビバップの時代にアバンギャルドの出現を予想したものもいませんでした これからもアームストロングや、パーカーのような才能を持つミュージシャンが現れ、 誰も聴いたことのない演奏を始めることでしょう そこからジャズの新しい時代が始まっていくんです

【ナレーション】 20世紀の初め、ニューオーリンズの酒場やダンスホールで、一つの音楽が産声をあげました それは黒人の喜怒哀楽を表現する音楽として生まれ、 人種の壁を超えた、より幅広い魅力をもつ音楽へと成長していきました 多くのスタイルが生まれ、大勢のミュージシャンが登場しました その度に音楽は姿を変え、今までにない興奮と感動を与えてくれました 決して変わらぬ物を内に秘めながら、常に変化することで輝き続ける音楽 それを聴き、それを演奏する人がいる限り、音楽の旅は続きます ジャズは今も未来へと歩み続けているのです